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 您的位置:新世界日语 >> 听说读写 - 阅读翻译 - 【中日对照】「酔眼」中の朦朧/“醉眼”中的朦胧(鲁迅《三闲集》)
 
【中日对照】「酔眼」中の朦朧/“醉眼”中的朦胧(鲁迅《三闲集》)
 
发表时间:2008-5-12 13:25:52  信息来源:日语论坛  点击:
 

「酔眼」中の朦朧

 旧暦でも新暦でも今年は上海の文芸家たちに特別に刺激力をもっているらしく、つづいてやってきた新・旧二度の正月が過ぎると、あちらこちらでも雑誌が出た。彼らはどうやら全力を偉大なあるいは尊厳な標題のために使い果して、内容は惜しみもなく圧殺している。出てから一年以上もたっている雑誌までが、懸命になってもがき、そして突然変異を呈している。執筆者はどうかというに、数人は初めて見る名前だが、大ていはやっぱりよく見なれた名前で、たまたま新顔のように思っても、しかしそれは一年か半年、筆をとらなかったためである。彼らはこれまで何をしていたのか。どうして今年になって一斉に筆をとったのか? それをいうならば話は長くなるであろう(文筆を一たんすてて、実際政治に参加した「革命文学者」たちが「清党」によって、彼らの武漢政府がつぶされ、再び上海の租界に帰って雑誌を出し、文筆活動をはじめたことをさす、彼らは魯迅を攻撃した。)。簡単にいってみると、つまり前には筆をとらなくてもよかったが、いまは筆をとらなければ仕方がなくなったためで、それは昔の無聊(ぶりょう)の文人、文人の無聊と似たりよったりである。このことは意識的に、あるいは無意識的に、誰もがみな自覚していることだ、だからとにかく読者に向って「将来」を声明せねばならない、「海外へ出る」とか「研究室に入る」とか、さもなければ「民衆獲得」とかを。功名手柄は目前にあるのではない、一たん帰国したら、研究室を出たら、民衆を獲得したならば、それこそ大へんなことになってくるのだ。もちろん見透しのきく人、用心深い人、気の小さい人、投機的な人は、一番いいことは今のうちに「革命的敬礼」をまずしておくことだ。将来になって、「後の祭」にならないように。
 だが各種の雑誌が、たとい言い方はどのようにちがっていても、すべて一つの共通点をもっている、つまり何だか朦朧としていることだ。この朦朧の発祥地は、私の見るところでは――馮乃超(ふぉんないちゃお)によれば「酔眼陶然」ではあるけれども――やっぱりあの、愛する人もあるし、憎む人もあるところの官僚と軍閥にある。彼らとすでに縁故(つながり)があるか、あるいは縁故(つながり)をもちたいと思っているものは、筆つきがどうもニコニコとして、人々に向って和気を見せている、だが、将来の見透しがあるので、夢の中ではまた鉄鎚(ハンマー)と鎌を可怕(こわ)がっている、そのためにあからさまに現在の主人をもちあげることもやれはしない、そこでここらあたりに何ほどかの朦朧をとどめているわけだ。彼らとの縁故がもはや切れているか、あるいは何の縁故もなくて、大衆の中に入っているものは、もともと、何の遠慮もなしにものをいっていいのである、だが文章ではたとえ勇気凛々として、人々に向って英雄ぶりを示しているものの、彼らの指揮刀を忘れてしまう阿呆はやっぱり多くいないのだ、ここにもまた何ほどかの朦朧をとどめている。そこで朦朧たらんとして、しかもついに色彩(いろどり)を暴露しているものと、色彩を明らかにせんとして、しかもついに朦朧たらざるを得ないものとが、同じところに同時に現れているのである。
 だが実は朦朧としていることは別に大した問題ではない。革命の最も進んだ国でさえも、文芸面には何ほどかの朦朧をもっていないわけではない。しかし革命家は決して自己批判を恐れない、彼ははっきりと知っておるし、彼らは勇敢にものをいう。ただ中国だけは特別で、人の尻馬にのってトルストイを「きたならしい説教者」だということは知っていても、中国の「目前の状況」に対しては、ただ「事実上は、社会の各方面とも黒雲のはりめぐらされた勢力の支配をうけている」と感じるだけで、トルストイの「政府の暴力、裁判行政の喜劇的な仮面を剥(は)ぎとる」勇気の何分の一さえももっていない。人道主義が不徹底であることは知っていても、「人を殺すこと草の如くで声を聞かず」というときに当って、人道主義流の抗争さえもしないのだ。剥ぎとりとか抗争とかは、ただ「文字の詮議」あって、何も「直接行動」ではない。私は文章を書くものが直接行動に出ることを決して希望はしない、文章を書くものは、多分文章を書くことだけしかできないであろうことを私は知っている。
 残念ながらちょっと遅まきであるが、創造者は一昨年は株式を募集し、去年は弁護士を招聘し、今年になると「革命文学」の旗をかかげた、復活した批評家成仿吾(チョンファンウー)は「芸術の宮殿」の守護という職掌を離れて、「大衆獲得」に走り、そして革命文学者のために「最後の勝利を保障」しようというのである。この飛躍は必然的だともいえる。文芸に携わるものは大てい敏感で、たえずものごとに反応して、そして自己の没落を防ぐのだ、ちょうど大海に漂い浮んでいるように、懸命になって何でもつかまえようとする。二十世紀以来の表現主義、ダダイズム、何々主義と、出たり引っこんだりするのは、この間の消息を物語っている。現在はといえば、いまや大いなる時代、動揺の時代、転換の時代であって、中国以外では、階級の対立は大ていもう十分に尖鋭化しており、労働者農民の勢力は日ましに強くなってきている、もし自分を没落から救い出そうとするならば、当然彼らの側に走るべきである。まして「ああ! プチブルは本来魂を二つもっている。……」ブルジョアジーの側に走ることもできるけれども、またプロレタリアートの側に走ることもできる。
 このようなことは、中国ではまだ萌(きざ)したばかりである、だから新奇に見えるし、そこで「文学革命から革命文学へ」(成仿吾の論文の題)といったような大へんな題目をつけねばならない、だが工業が発達し、貧富の差のひどい国では、もうあたりまえのことになっている。あるものは将来の天下は、労働者の天下であると見抜いて、そちらへ走るのだし、あるものは強い者の味方になるより、むしろ弱い者の味方になろうとそちらへ走るのだし、あるものはその両方の考えが入りまざって作用して、そちらへ走ったのである。それはまた、あるものは恐怖のために、あるものは良心のために、といってもいい。成仿吾(チョンファンウー)はプチ・ブル根性を克服し、「大衆」を引っぱりこんで「給与」と「維持」の材料にすることを人々に教えるが、文章はそれで片づいても、一つの大きな問題があとに残る、――
 もし、「最後の勝利の保障」が難しかったら、そちらへ行くかどうか?だ。
 これよりはまだしも、成仿吾の祝福のもとに、今年から創刊された『文化批判』に出ている李初梨(リーチユリー)の文章のほうがずっと単刀直入でハッキリしている、それはひたすらプロレタリア文学を主張するが、しかし必ずしもプロレタリア自身が書かなくとも、どのような階級の出身であろうと、どのような環境にいようと、ただ「プロレタリアートの意識をもって書かれたところの一種の闘争の文学」でさえあればいいというのである。だが彼は「趣味を以て中心とする」憎むべき「語絲派」の者の名前を見ると、どうも持って廻った言い方になって、やっぱり「甘人(かんれん)君に聞くが、魯迅は第何階級の人か?」(『語絲』派の甘人が『中国新文芸の将来とそれ自身の認識』で魯迅にふれているのを、李初梨がとりあげて反駁した)である。
 私の階級はもう成仿吾(チョンファンウー)によってこう判定されている。「彼らが誇るものは『閒暇(ひま)、閒暇、もう一つ閒暇』である、彼らは有閒の資産階級を代表しているか、あるいは太鼓の音のなかに眠っているプチブルである。……もし北京の暗雲妖気が、十万両(両は重さの単位)の無烟火薬で爆破されなかったら、多分彼らは永遠にこのようにしてやっていくのだろう。」
 われわれの批判者(成仿吾をさす)はかくて創造社の功名手柄を書きだして、「否定の否定」(成仿吾の「文学革命から革命文学へ」に出てくる言葉、文学革命は旧思想の否定[Negation]であったが、それは小資産階級的意識の獲得で、いま無産階級的革命文学の段階では、それをもう一度、自己否定[否定の否定]すべきだといった)を加えて、「大衆獲得」をしようとするとき、もう「十万両の無烟火薬」を夢想し、同時に私を「資産階級」(なぜなら「有閒はすなわち有銭」だというのだから)の中へ押しこもうとしているようだ、私ははなはだ危険を感じた。その後、李初梨(りーちゆりー)が「思うに、作家であれば、彼が第一、第二……第百、第千階級のいずれに属していようとも、すべて無産階級文学運動に参加することができる。ただわれわれは先ず彼らの動機を審査しなければならぬ。……」といっているのを見て、やっと安心はしたものの、しかし心配なのは私について依然として階級のことが問題にされることだ。「閒(ひま)のあるのはつまり銭があるのだ」という、もしも銭がなければ、当然第四階級なのだから、「無産階級文学運動への参加」はできるだろう、だが私はそのときにまた「動機」を問題にされることを知ったのである。要するに、最も大事なことは「無産階級の階級意識を獲得する」ことである、――今度は「大衆獲得」だけで万事が片づくというわけにはいかなくなった。何だかいろいろこんがらがってはっきりしない、一番いいのは李初梨(りーちゆりー)には「芸術の武器から武器の芸術」行ってもらい、成仿吾(チョンファンウー)には半租界の中に胡坐をかいて「十万両の無烟火薬」を蓄積してもらい、私自身は相かわらず「趣味」(創造社派から「語絲派」を非難した言葉)にこっていることである。
 成仿吾の「閒暇(ひま)、閒暇、もう一つ閒暇」というあの歯ぎしりの声は、私には面白く思われた。というのは、私は覚えているが、前にある人が私の小説を批評して「第一にも冷静、第二にも冷静、第三にもまた冷静」といった、「冷静」だというのは、決して良い批判とはいえない、ところがどうしたわけか知らないが、この革命的批評家の記憶中枢は斧でたたき割られたようであり、それからは「閒暇」が三つにもなったのである。もし四つあったなら『小説旧聞鈔』も書けなかったであろうが、あるいは二つしかなかったら、比較的忙しく見えるから、「奥伏赫変(アウフヘーベン)」(「捨てる」意味、Aufhebenの創造派の訳音、ただし私にはどうしてこんなにむずかしく書かねばならぬか分らない、第四階級には、原文そのままを書くよりはむずかしいにちがいない)されることもなかったかも知れない。残念なことにはちょうど三つであることだ。だが以前に判定された「自己を表現することに努力」しないという罪は、まずどうしても成仿吾の「否定の否定」とともに抹消されることになるだろう。
 創造派は「革命のための文学」というのだから、やっぱり文学が入用であり、文学はいまや最も大事なものである、なぜなら「芸術の武器から、武器の芸術へ」であろうとするのだから、そこで「武器の芸術」の時になると、それはちょうど「批判の武器から、武器を使う批判へ」の時と同じことになる、世界には先例があって、「徘徊者は同意者に変り、反対者は徘徊者に変る」のである。
 だがたちまちまた小さくない問題が一つ出てくる。どうしてすぐには「武器の芸術」にならないのか?である。
 これは「有産者がさし廻わした蘇秦(そしん)(昔の策略のうまい弁舌家)の遊説(ゆうぜい)」によく似ている。だが現在の「無産者がまだ有産者意識から解放されない前」では、この問題はどうしても起こってくるはずで、何もかもが資産階級の退却あるいは反撃の悪辣な計略ではない。それはこの極めて徹底した勇猛な主張には、同時にそこに疑わしい萌芽を含んでいるからである。それにはこう解答するよりほかはない――
 あちらにはいま「武器の芸術」がある、だからこちらでは「芸術の武器」であるしか仕方がない。
 この芸術の武器というのは、実は已むを得なくてそうなっただけで、無抵抗の幻影から脱け出して、紙上の戦闘という新しい夢のなかに落ち込んだのである。だが革命的芸術家は、やはりこれで自己の勇気を維持するより仕方がない、彼はこうするしかない。もし彼が彼の芸術を犠牲にして、理論が事実となった場合には、彼は革命的芸術家ではなくなる心配が生じる。そこで必然的に無産階級の陣営のなかに坐って、「武器の鉄と火」の出現を待たねばならない。それが出現したときには、同時に「武器の芸術」をもちだしてくるのだ。もしそのときに、鉄と火の革命者が一つの「閒暇(ひま)」をもつようになって、彼らの手前味噌の手柄を静かに聞くようになったならば、また同じような戦士になるわけである。最後の勝利である。しかし文芸は、批判で割りきれるものではない、それは社会にはいろいろな層があり、先進国にはその史実があるからである、目前の例をとるならば、『文化批判』ではUpton Sinclairを引っぱっていながら、『創造月刊』のほうはVignyをかついで、「前へ進め」をやっているのだ。
 もしもそのときになって、「不革命は反革命である」とか、革命の遅滞は語絲派のせいだなどといわれないなら、人さまのために掃除をしても、半分のパンにはありつけるのだから、私は八時間労働の余暇には、暗い部屋に坐って、私の『小説旧聞鈔』をつづけて書きうつし、いろいろな国の文芸についても語りたい、それは私が好きだからだ。恐れるのは成仿吾(ちょんふぁんうー)たちがほんとうにウラジミル・イリッチ(レーニンのこと)のように、案外にも「大衆を獲得」することだ。そうなったら、彼らはたぶん一そう飛躍に飛躍を重ねるだろう、私のほうもまた貴族あるいは皇帝階級にまで昇っていて、少なくとも北極圏に流刑されるにちがいないのである。著訳の書物がみんな禁止になるのは、もちろんいうまでもない。
 遠からずしてとにかく一つの大いなる時代は到来するにちがいない。いま創造派の革命文学者と無産階級作家は、やむを得ずして「芸術の武器」をもてあそんでいるのだり、そして「武器の芸術」をもっている非革命式学者もまたその玩具をもてあそびはじめた、ニコニコ顔をしたいろいろの雑誌がそれである。彼ら自身としては手中にした「武器の芸術」をあまり信用はしていないことだろう。では、この一種の最高の芸術――「武器の芸術」は、現在、結局、だれの手に落ちているのだろうか? もしそれが分ったら、中国のもっとも近い将来がわかる。
   (二月二十三日、上海)

“醉眼”中的朦胧

 

  旧历和新历的今年似乎于上海的文艺家们特别有着刺激力,接连的两个新正一过,期刊便纷纷而出了。他们大抵将全力用尽在伟大或尊严的名目上,不惜将内容压杀。连产生了不止一年的刊物,也显出拚命的挣扎和突变来。作者呢,有几个是初见的名字,有许多却还是看熟的,虽然有时觉得有些生疏,但那是因为停笔了一年半载的缘故。他们先前在做什么,为什么今年一齐动笔了?说起来怕话长。要而言之,就因为先前可以不动笔,现在却只好来动笔,仍如旧日的无聊的文人,文人的无聊一模一样。这是有意识或无意识地,大家都有些自觉的,所以总要向读者声明“将来”:不是“出国”,“进研究室”,便是“取得民众”。功业不在目前,一旦回国,出室,得民之后,那可是非同小可了。自然,倘有远识的人,小心的人,怕事的人,投机的人,最好是此刻豫致“革命的敬礼”。一到将来,就要“悔之晚矣”了。

  然而各种刊物,无论措辞怎样不同,都有一个共通之点,就是:有些朦胧。这朦胧的发祥地,由我看来,——虽然是冯乃超的所谓“醉眼陶然”〔2〕——也还在那有人爱,也有人憎的官僚和军阀。和他们已有瓜葛,或想有瓜葛的,笔下便往往笑迷迷,向大家表示和气,然而有远见,梦中又害怕铁锤和镰刀,因此也不敢分明恭维现在的主子,于是在这里留着一点朦胧。和他们瓜葛已断,或则并无瓜葛,走向大众去的,本可以毫无顾忌地说话了,但笔下即使雄纠纠,对大家显英雄,会忘却了他们的指挥刀的傻子是究竟不多的,这里也就留着一点朦胧。于是想要朦胧而终于透漏色彩的,想显色彩而终于不免朦胧的,便都在同地同时出现了。

  其实朦胧也不关怎样紧要。便在最革命的国度里,文艺方面也何尝不带些朦胧。然而革命者决不怕批判自己,他知道得很清楚,他们敢于明言。惟有中国特别,知道跟着人称托尔斯泰为“卑污的说教人”〔3〕了,而对于中国“目前的情状”,却只觉得在“事实上,社会各方面亦正受着乌云密布的势力的支配”〔4〕,连他的“剥去政府的暴力,裁判行政的喜剧的假面”的勇气的几分之一也没有;知道人道主义不彻底了,但当“杀人如草不闻声”〔5〕的时候,连人道主义式的抗争也没有。剥去和抗争,也不过是“咬文嚼字”,并非“直接行动”。〔6〕我并不希望做文章的人去直接行动,我知道做文章的人是大概只能做文章的。

  可惜略迟了一点,创造社前年招股本,去年请律师,〔7〕今年才揭起“革命文学”的旗子,复活的批评家成仿吾总算离开守护“艺术之宫”的职掌,〔8〕要去“获得大众”,并且给革命文学家“保障最后的胜利”〔9〕了。这飞跃也可以说是必然的。弄文艺的人们大抵敏感,时时也感到,而且防着自己的没落,如漂浮在大海里一般,拚命向各处抓攫。二十世纪以来的表现主义〔10〕,踏踏主义〔11〕,什么什么主义的此兴彼衰,便是这透露的消息。现在则已是大时代,动摇的时代,转换的时代,中国以外,阶级的对立大抵已经十分锐利化,农工大众日日显得着重,倘要将自己从没落救出,当然应该向他们去了。何况“呜呼!小资产阶级原有两个灵魂。……”虽然也可以向资产阶级去,但也能够向无产阶级去的呢。

  这类事情,中国还在萌芽,所以见得新奇,须做《从文学革命到革命文学》那样的大题目,但在工业发达,贫富悬隔的国度里,却已是平常的事情。或者因为看准了将来的天下,是劳动者的天下,跑过去了;或者因为倘帮强者,宁帮弱者,跑过去了;或者两样都有,错综地作用着,跑过去了。也可以说,或者因为恐怖,或者因为良心。成仿吾教人克服小资产阶级根性,拉“大众”来作“给与”和“维持”的材料,文章完了,却正留下一个不小的问题:倘若难于“保障最后的胜利”,你去不去呢?

  这实在还不如在成仿吾的祝贺之下,也从今年产生的《文化批判》上的李初梨的文章〔12〕,索性主张无产阶级文学,但无须无产者自己来写;无论出身是什么阶级,无论所处是什么环境,只要“以无产阶级的意识,产生出来的一种的斗争的文学”就是,直截爽快得多了。但他一看见“以趣味为中心”的可恶的“语丝派”的人名就不免曲折,仍旧“要问甘人君,鲁迅是第几阶级的人?”〔13〕我的阶级已由成仿吾判定:“他们所矜持的是‘闲暇,闲暇,第三个闲暇’;他们是代表着有闲的资产阶级,或者睡在鼓里的小资产阶级。……如果北京的乌烟瘴气不用十万两无烟火药炸开的时候,他们也许永远这样过活的罢。”〔14〕我们的批判者才将创造社的功业写出,加以“否定的否定”,要去“获得大众”的时候,〔15〕便已梦想“十万两无烟火药”,并且似乎要将我挤进“资产阶级”去(因为“有闲就是有钱”云),我倒颇也觉得危险了。后来看见李初梨说:“我以为一个作家,不管他是第一第二……第百第千阶级的人,他都可以参加无产阶级文学运动;不过我们先要审察他们的动机。……”〔16〕这才有些放心,但可虑的是对于我仍然要问阶级。“有闲便是有钱”;倘使无钱,该是第四阶级〔17〕,可以“参加无产阶级文学运动”了罢,但我知道那时又要问“动机”。总之,最要紧是“获得无产阶级的阶级意识”,——这回可不能只是“获得大众”便算完事了。横竖缠不清,最好还是让李初梨去“由艺术的武器到武器的艺术”〔18〕,让成仿吾去坐在半租界里积蓄“十万两无烟火药”,我自己是照旧讲“趣味”。

  那成仿吾的“闲暇,闲暇,第三个闲暇”的切齿之声,在我是觉得有趣的。因为我记得曾有人批评我的小说,说是“第一个是冷静,第二个是冷静,第三个还是冷静”,〔19〕“冷静”并不算好批判,但不知怎地竟像一板斧劈着了这位革命的批评家的记忆中枢似的,从此“闲暇”也有三个了。倘有四个,连《小说旧闻钞》也不写,或者只有两个,见得比较地忙,也许可以不至于被“奥伏赫变”〔20〕(“除掉”的意思,Aufheben的创造派的译音,但我不解何以要译得这么难写,在第四阶级,一定比照描一个原文难)罢,所可惜的是偏偏是三个。但先前所定的不“努力表现自己”之罪〔21〕,大约总该也和成仿吾的“否定的否定”,一同勾消了。

  创造派“为革命而文学”,所以仍旧要文学,文学是现在最紧要的一点,因为将“由艺术的武器,到武器的艺术”,一到“武器的艺术”的时候,便正如“由批判的武器,到用武器的批判”〔22〕的时候一般,世界上有先例,“徘徊者变成同意者,反对者变成徘徊者”〔23〕了。

  但即刻又有一点不小的问题:为什么不就到“武器的艺术”呢?

  这也很像“有产者差来的苏秦的游说”〔24〕。但当现在“无产者未曾从有产者意识解放以前”〔25〕,这问题是总须起来的,不尽是资产阶级的退兵或反攻的毒计。因为这极彻底而勇猛的主张,同时即含有可疑的萌芽了。那解答只好是这样:因为那边正有“武器的艺术”,所以这边只能“艺术的武器”。

  这艺术的武器,实在不过是不得已,是从无抵抗的幻影脱出,坠入纸战斗的新梦里去了。但革命的艺术家,也只能以此维持自己的勇气,他只能这样。倘他牺牲了他的艺术,去使理论成为事实,就要怕不成其为革命的艺术家。因此必然的应该坐在无产阶级的阵营中,等待“武器的铁和火”出现。这出现之际,同时拿出“武器的艺术”来。倘那时铁和火的革命者已有一个“闲暇”,能静听他们自叙的功勋,那也就成为一样的战士了。最后的胜利。然而文艺是还是批判不清的,因为社会有许多层,有先进国的史实在;要取目前的例,则《文化批判》已经拖住UptonSinclair〔26〕,《创造月刊》也背了Vigny在“开步走”〔27〕了。

  倘使那时不说“不革命便是反革命”,革命的迟滞是“语丝派”之所为,给人家扫地也还可以得到半块面包吃,我便将于八时间工作之暇,坐在黑房里,续钞我的《小说旧闻钞》,有几国的文艺也还是要谈的,因为我喜欢。所怕的只是成仿吾们真像符拉特弥尔·伊力支〔28〕一般,居然“获得大众”;那么,他们大约更要飞跃又飞跃,连我也会升到贵族或皇帝阶级里,至少也总得充军到北极圈内去了。译著的书都禁止,自然不待言。

  不远总有一个大时代要到来。现在创造派的革命文学家和无产阶级作家虽然不得已而玩着“艺术的武器”,而有着“武器的艺术”的非革命武学家也玩起这玩意儿来了,有几种笑迷迷的期刊〔29〕便是这。他们自己也不大相信手里的“武器的艺术”了罢。那么,这一种最高的艺术——“武器的艺术”现在究竟落在谁的手里了呢?只要寻得到,便知道中国的最近的将来。

  二月二十三日,上海。

  BB

  〔1〕本篇最初发表于一九二八年三月十二日《语丝》第四卷第十一期。

  本篇是鲁迅针对一九二八年初创造社、太阳社对他的批评而写的。当时创造社等的批评和鲁迅的反驳,曾在革命文学阵营内部形成了一次以革命文学问题为中心的论争。这次论争扩大了革命文学运动的影响,促进了文化界对革命文学问题的注意。但创造社、太阳社的某些成员,在试图运用马克思主义原理于中国革命的实际和文艺领域时,出现过严重的主观主义和宗派主义的倾向,对鲁迅作了错误的分析,对他采取了排斥以至无原则的攻击的态度。后来他们改变了排斥鲁迅的立场,与鲁迅共同组织中国左翼作家联盟。〔2〕冯乃超广东南海人,作家,后期创造社成员。“醉眼陶然”,见他在《文化批判》创刊号(一九二八年一月)发表的《艺术与社会生活》:“鲁迅这位老生——若许我用文学的表现——是常从幽暗的酒家的楼头,醉眼陶然地眺望窗外的人生。世人称许他的好处,只是圆熟的手法一点,然而,他不常追怀过去的昔日,追悼没落的封建情绪,结局他反映的只是社会变革期中的落伍者的悲哀,无聊赖地跟他弟弟说几句人道主义的美丽的说话。隐遁主义!好在他不效LATolMstoy变作卑污的说教人。”

  〔3〕托尔斯泰(XAYAZKFS[K\,1828—1910)俄国作家。著映て∷怠墩秸牒*平》、《安娜·卡列尼娜》、《复活》等。冯乃超在《艺术与社会生活》中曾引用列宁在《列甫·托尔斯泰是俄国革命的镜子》中的一段话:“托尔斯泰一方面毫无忌惮地批判资本主义的榨取,剥去政府的暴力,裁判与行政的喜剧的假面,暴露着国富的增大,文化的结果与贫困的增大,劳动大众的痛苦间的矛盾;他方面很愚蠢地劝人不要以暴力反抗罪恶。一方面站在最觉悟的现实主义上,剥去一切的假面;他方面却靦颜做世界最卑污的事——宗教的说教人。”按译文与现在通行的版本不完全相同。

  〔4〕这是冯乃超在《艺术与社会生活》中的话:“自从北伐军进出杨子江以来,中国国民革命的一特征,就是大众的政治运动的炽烈化,然而,观察目前的情状,革命的势力在表面上似呈一种停顿的样子,而事实上,社会的各方面亦正受着乌云密布的势力的支配。”〔5〕“杀人如草不闻声”语见明代沈明臣作《铙歌十章·凯歌》:“狭巷短兵相接处,杀人如草不闻声。”原是歌颂战功的,这里用以指国民党反动派屠杀共产党人和革命群众的血腥罪行。〔6〕见《文化批判》第二号(一九二八年二月)李初梨《怎样地建设革命文学》:“我们知道,社会上,一定有一些常识的煽动家,向我们发出嘲笑,他们说:你们既口口声声在革命,何以不去直接行动,却来弄这样咬文嚼字的文学?我们要看出他们的奸诈来;这是他们的退兵计;有产者差来的苏秦的游说。”

  〔7〕创造社前年招股本去年请律师一九二六年,创造社曾发出招股简章,筹集办社资金。一九二七年聘请刘世芳为该社律师。后来,当创造社受到反动当局压迫时,刘世芳曾代表创造社及其出版部登报声明“本社纯系新文艺的集合,本出版部亦纯系发行文艺书报的机关,与任何政治团体从未发生任何关系”,“此后如有诬毁本社及本出版部者决依法起诉以受法律之正当保障”。(见一九二八年六月十五日上海《新闻报》)

  〔8〕创造社成立初期,成仿吾主张文学“是出自内心的要求,原不必有什么预定的目的”,追求文学的“全”和“美”,存在有“为艺术而艺术”的倾向。一九二六年他参加北伐战争,一九二八年再回到上海,从事“革命文学”运动。所以这里说他是“复活的批评家”,“总算离开守护‘艺术之宫’的职掌”。

  〔9〕“获得大众”、“保障最后的胜利”,都见《创造月刊》第一卷第九期(一九二八年二月)成仿吾的《从文学革命到革命文学》:“以明了的意识努力你的工作,驱逐资产阶级的‘意德沃罗基’在大众中的流毒与影响,获得大众,不断地给他们以勇气,维持他们的自信!莫忘记了,你是站在全战线的一个分野!以真挚的热诚描写在战场所闻见的,农工大众的激烈的悲愤,英勇的行为与胜利的欢喜!这样,你可以保障最后的胜利;你将建立殊勋,你将不愧为一个战士。”〔10〕表现主义二十世纪初流行于德国和奥地利的资产阶级文艺流派。它对资本主义黑暗现实带有盲目的反抗情绪;强调表现自我感受,认为主观是唯一真实,漠视现实生活,反对艺术的自的性,是帝国主义时期资产阶级文化危机的反映。

  〔11〕踏踏主义通称达达主义,第一次世界大战期间流行于瑞士、美国、法国的资产阶级文艺流派。它反对艺术规律,否定语言、形象的思想意义,以梦呓、混乱的语言、怪诞荒谬的形象表现不可思议的事物,是当时青年一代恐慌、狂乱的精神状态的反映。〔12〕《文化批判》月刊,创造社的理论性刊物。一九二八年一月创行,共出五期。在创刊号上载有成仿吾的《祝辞》。李初梨,四川江津人,文艺评论家,后期创造社成员。这里是指他的《怎样地建设革命文学》一文。其中说:“无产阶级文学的作家,不一定要出自无产阶级,而无产阶级的出身者,不一定会产生出无产阶级文学。”又说:“无产阶级文学是:为完成他主体阶级的历史的使命,不是以观照的——表现的态度,而以无产阶级的阶级意识,产生出来的一种的斗争的文学。”

  〔13〕《北新》半月刊第二卷第一号(一九二七年十一月)发表署名甘人的《中国新文学的将来与其自己的认识》中有“鲁迅……是我们时代的作者”的话;李初梨在《怎样地建设革命文学》中加以反对说:“我要问甘人君,鲁迅究竟是第几阶级的人,他写的又是第几阶级的文学?他所曾诚实地发表过的,又是第几阶级的人民的痛苦?‘我们的时代’,又是第几阶级的时代?甘人君对于‘中国新文艺的将来与其自己’简直毫不认识。”

  〔14〕这段引文见成仿吾《从文学革命到革命文学》。〔15〕成仿吾在《从文学革命到革命文学》中评论早期创造社时说:“它的诸作家以他们的反抗的精神,以他们的新鲜的作风,四五年之内在文学界养成了一种独创的精神,对一般青年给与了不少的激刺。他们指导了文学革命的方针,率先走向前去,他们扫荡了一切假的文艺批评,他们驱逐了一些蹩脚的翻译。他们对于旧思想与旧文学的否定最为完全,他们以真挚的热诚与批判的态度为全文学运动奋斗。”而在展望“文学革命今后的进展”时又说:“我们如果还挑起革命的‘印贴利更追亚’的责任起来,我们还得再把自己否定一遍(否定的否定),我们要努力获得阶级意识,我们要使得我们的媒质接近农工大众的用语,我们要以农工大众为我们的对象。”〔16〕见李初梨《怎样地建设革命文学》:“我以为一个作家,不管他是第一第二……第百第千阶级的人,他都可以参加无产阶级文学运动;不过我们先要审察他的动机。看他是‘为文学而革命’,还是‘为革命而文学’。”

  〔17〕第四阶级即无产阶级。过去外国历史家曾把法国大革命时期的法国社会分为三个阶级(应译“等级”)。第一阶级:国王;第二阶级:僧侣和贵族;第三阶级:当时的被统治阶级,其中包括资产阶级、小资产阶级、工人、农民等。后来又有人把工人阶级称为第四阶级。这是一种不科学的说法。

  〔18〕“由艺术的武器到武器的艺术”见李初梨《怎样地建设革命文学》:“有产者既利用一切艺术为他的支配工具,那么文学当然为无产者的重要的战野。所以我们的作家,是‘为革命而文学’,不是‘为文学而革命’,我们的作品,是‘由艺术的武器到武器的艺术’。”〔19〕这是张定璜的话,见《现代评论》第一卷第七、八期(一九二五年一月)连载的《鲁迅先生》一文:“鲁迅先生的医究竟学到了怎样一个境地,曾经进过解剖室没有,我们不得而知,但我们知道他有三个特色,那也是老于手术富于经验的医生的特色,第一个,冷静,第二个,还是冷静,第三个,还是冷静。”

  〔20〕“奥伏赫变”德语音译,现通译为“扬弃”。〔21〕成仿吾在《创造》季刊第二卷第二期(一九二四年一月)《〈呐喊〉的评论》中,将《呐喊》中的小说分为“再现的”和“表现的”两类。认为前者“平凡”“庸俗”,是作者“失败的地方”,而后者如《端午节》,“表现方法恰与我的几个朋友的作风相同”,“作者由他那想表现自我的努力,与我们接近了”。

  〔22〕“由批判的武器到用武器的批判”见马克思《〈黑格尔法哲学批判〉导言》:“批判的武器当然不能代替武器的批判,物质力量只能用物质力量来推毁;但是理论一经掌握群众,也会变成物质力量。”(《马克思恩格斯选集》第一卷第九页,一九七二年五月人民出版社出版)

  〔23〕这两句话的出处待查。

  〔24〕“有产者差来的苏秦的游说”参看本篇注〔6〕。苏秦,战国时期的纵横家,曾游说齐、楚、燕、赵、韩、魏六国联合抗秦。〔25〕见李初梨《怎样地建设革命文学》:“有人说:无产阶级文学,是无产者自身写出的文学。不是。因为无产者未曾从有产者意识解放以前,他写出来的,仍是一些有产者文学。”〔26〕UptonSinclair辛克莱(1878—1968),美国小说家。著有长篇小说《屠场》、《石炭王》、《世界末日》等。《文化批判》第二期(一九二八年二月)曾刊载辛克莱《拜金艺术(艺术之经济学的研究)》的摘译,译者冯乃超在译文的前言中说:辛克莱“和我们站着同一的立脚地来阐明艺术与社会阶级的关系,……他不特喝破了艺术的阶级性,而且阐明了今后的艺术的方向”。

  〔27〕Vigny维尼(1797—1863),法国消极浪漫主义诗人。著有《上古和近代诗集》、《命运集》等。《创造月刊》第一卷第五、七、八、九各期曾连载穆木天的论文《维尼及其诗歌》。“开步走”,是成仿吾《从文学革命到革命文学》一文中的话:“开步走,向那龌龊的农工大众!”

  〔28〕符拉特弥尔·伊力支即弗拉基米尔·伊里奇·列宁。〔29〕指国民党反动派当时所办的一些刊物如《新生命》等。



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