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敦煌莫高窟の謎
发表时间:2011/4/15 点击:45 [
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敦煌の莫高窟は世界で規模が最も大きく、最も保存状態のよい仏教の遺跡である。世界に注目される芸術の珍宝がどうして西北のゴビにあるだろう。
伝説によって、敦煌莫高窟の場所は楽僔という僧侶に選定されたのである。紀元366年に、楽僔が敦煌の三危山を訪れ、夕暮れて宿泊先がまだ見つからず困っている時、頭を上げると向こうの鳴沙山が金色で輝き、千万の仏様の姿が現れるように見えた。この奇妙な景色に魅了された楽僔は「ここは正に聖地だ」と感じ、人を募集して経典を納める洞窟を掘り始めた。唐になると、敦煌には1000以上の洞窟が出来上がっていた。
専門家の研究によって、莫高窟の開削は偶然のことではなく、古人の知恵の結晶である。場所を砂漠のオアシスにしたのは世俗と隔離し、大自然と融合するという仏教の思想に基づいたものである。洞窟は山に依り、水に面し、その前を流れる川が周辺の林を潤い、独特の風景を作り出した。蜂の巣の形がする莫高窟の最も高い所でも40メートルを超えないことから、冬季に洞窟の裏側の西から吹いてくる砂嵐は洞窟の中に入らず、夏季には東風が莫高窟の向こうにある三危山に遮断され、直接に洞窟の中まで到達してこない。こうして、莫高窟はゴビの中で最も安全な所になった。
このようなことから、莫高窟は1000年以上風に吹かれ雨に降られても、11の王朝の492の洞窟と大量の壁画、彫刻が保全され、極めて貴重な文化財が世に残ったのである。